黃金奇異果

温帯と亜熱帯のあいだ

神経質 ミソフォニア 音嫌悪症

さて、久しぶりに文章を書いてみることにする。

今年の台湾は10連休で、前半はいつも通り台中の友人の家でゆっくり過ごして今は台北に帰ってきた。台北はいつも通り曇天なのに加えて気温も低く、帰って来てからはとくに何もせず家でゴロゴロと本を読んでいたものの、ちょっと気分転換がしたくなって家の近くのスターバックスに来た。

というかこのMacBook日本語入力の調子がめちゃめちゃ悪いぞ。たまに入力がダブルで認識される。これはキーボードの問題なのか?キーのリピート速度とやらを下げると多少マシになった。

最近苦しめられているのは、というか今更に始まったことではないのだけど、病的に神経質な性格なところだ。それは例えば台湾の慈悲なきドライバー・スクーターライダーとかに対して猛烈にイラッとしてしまうこととか、住んでるマンションの部屋の中にどこからかタバコの匂いが流れこんできたりすることに対してものすごく過剰に反応してしまうこととか。

音に関してはかなりセンサーが敏感で、嫌な音が発生すると仕事中や映画を見ているときなどそれなりに集中している時ですらキャッチしてしまう。そして聞こえてしまったが最後、気になり出したらその音が完全に止むまで心が休まることがない。

咳払いとか、キーボードを打ち込む音とか、くしゃみの音とか、特定の音に対して強いストレスを感じる人はそれなりに数がいるらしく、「ミソフォニア(音嫌悪症)」という症状名まであるらしい。

 

そんなことを言っているハナから誰かがでかい音で音楽を流し始めた。耐え切れずスタバを離れる。

 

ここまでくると、もはや特定の音への感度が異常に高い体質のように思える。

いままで自分がやたらと気にしすぎているだけと思っていたが、なるほどそういう症状があるんだと思ったらなんだかちょっと楽になったような感じもする一方、別に音だけに対して強いストレスがあるというわけでもないのでちょっと当たってない感じもする。

思い返してみれば、基本的にストレスを感じる対象は人の行いのうち、周囲に「気を遣って」いたらそんなことはしないだろう、というような行為だ。

日本で住んでた社員寮で隣室のバタンバタンという扉の開け閉めに異常なストレスを感じたり、台湾では歩行者を全く無視してガンガン交差点を渡ってくる車・バイクにほとんど殺意に近い怒りを覚えたり。

たぶん大方の人は、「まぁしゃあないな」というくらいで済ませることができる、あるいは全くなにも気にならないというひとも存外少なくないのかもしれない。

昔から大人に怒られることが嫌いで、ずっと「いい子ちゃん」にしていたことが根底にあるのではないか、と最近になって分析をしている。

わたしがいい子ちゃんにしているのだから、あなたもいい子ちゃんにしていなさい、というような脅迫的な要求を常に他人に対して押し付けているんじゃないだろうか。とも思う。

思うに、自分は結構「ルール」とか「規範」みたいなのが大好きな人間なのかもしれない。悪意の有無を問わず、自分のやり方、自分が苦労したり気を遣っていることを蔑ろにされることに対しての物凄いストレスがある。

 

こういう自己分析がまともにできてきたのは実は大学を卒業してからくらいのことで、それに対してまともにちゃんと付き合っていこうと思い始めたのはここ最近のことだ。

あんまり気にしないでおこうとか、自分も人に何かしら不快な思いをさせているのだから、というふうなあるある視点では解決できない深刻さがあるし、同じような人が居ればぜひ自助会的に、乗り越える方法を話し合ってみたいとも思う。