黃金奇異果

温帯と亜熱帯のあいだ

カレーや準備してる日記

今必死こいてカレー屋準備してるワイです。

そもそもしょぼく企業するということで、そんなにお金かけるつもりなくやっているけども、それでもなんやかんやと金はかかる。とはいっても、一般的な「カフェ 開業資金」とかで調べてでてくる金額の1/10もいってない。

 

そしてなんやかんややることがある。一年分の用事を一気にやってるようである。

やったことをリストアップしておこう。

 

掃除系

・ギトギトの床を掃除する

・無限に油が滴り落ちてくるレンジフードを掃除する

・カビとか土とか水垢だらけのトイレ&シンク掃除する

・ガス漏れしてたネチョネチョのガス管変える

・ちょっと水流したら溢れてくる排水管詰まり直してもらう

内装系

・チェック柄のド派手な机椅子に小マシな壁紙貼ってリメイクする

・カウンターに穴あけて強引に机つける(なお強度は不明)

・隣の工務店に手伝ってもらいながらブルーの壁を全部白くする

・オペレーション考えながら厨房器具配置する

仕入れ系

・安くスパイス仕入れる店探し求めて三千里

・美味しくて安い米仕入れる店探し求めて三千里

・美味しくて安い肉仕入れる店探し求めて三千里

・テイクアウト容器の店探し求めて三千里

処分系

フェイスブックで無駄に多い椅子と机の引き取り手を募って処分費用を削減しながら店の宣伝する

・梱包の段ボールはまとめて近所のばあちゃんにあげる

・前オーナーの残して行った大量のペンキをすてる

事務系

・メニュー考えて原価計算する

・配る用のビラデザインする

 

まぁ当たり前やけど全部自分でやるということなので、まぁなかなか大変やなぁ。

 

大体やることはもう終わったので、あとは試作して写真とってメニュー作ってokというかんじでしょうか。

雑記日記112

今日は大阪へ帰る日。池田港から高松に向かうフェリーでカタカタしておる。高松で2件くらいうどん食べてやろう、などと目論んでいる。

 

・勝手に5:00~5:30の間に起きる

6:00にアラームを設定していて、しばらくはアラームで起きていたのだが二週間くらいそのリズムでの生活を続けると、5:00~5:30の間に自然に起きるようになった。休みの日くらいゆっくり寝ようと思ってもやはりその時間に起きる。

 

朝飯ゆっくり食べて、お弁当詰めて、部屋でゆっくりストレッチとかをして過ごす。

 

大阪に帰ったら、また元の生活リズムに戻るのだろうか?早起きをすると1日がめちゃ長いので、いろいろやる気になるのでこのリズムをキープするのも悪くないなぁ。

 

家の前に手頃な畑とかあれば最高なのだが。

 

・2週間動きっぱなしでもいける

繁忙期でオリーブを取りまくらなければならないので、休みは日曜日だけの週休1日。前の自分やったらゆっくりカフェとか読書とかしていたけど、先週はばあさんの家の草を刈りに行ったり、今週は親戚のやってる道の駅の手伝いとかをしたりして、休みの日も軽度の労働をしている。

 

案外動きっぱなしでもいけるという自分に驚いていると共に、心地よい生活のあり方のヒントになっているのではないか、とも思った。1つの仕事だけじゃなくて、ストレスにならない程度の仕事をちょこちょことやる。「場」が増えて、関わる人も増えて、いろんなことをやることで、それぞれで気晴らしになっていく。

 

・一緒に仕事するときは、ちょっとした声かけしてくれるとやりやすい

いろんなスタンスがあるのは前提として、自分的には、適度なコミュニケーションをしながら仕事を進めてくれる人がやりやすいと感じる。オリーブちぎるだけでも、「このへん取っときますね」とか「ここ届かへんから後でとってもらえますか?」とか声かけしてもらえると、自分のやらなあかん範囲とか手抜けることとかが明確になっていくので、やりやすいと感じる。

 

何の仕事でも、自分的にはそういう人と一緒に仕事したいなぁと思う。

 

 

雑記日記111

久しぶりの集団生活で感じたこと

 

仕事について

・どんな場所で仕事をしているかよりも、誰とどんな仕事をしているか

結局のところ、しごとは場所や環境よりも、誰とどんな仕事をしているかというのが1番大事。天国みたいなところでも賽の河原のように石を積んでは崩されてを繰り返すような仕事をしてたらそれは地獄。

 

労働力をお金に変換させる働きかたもやっぱりしんどい。それがダメというわけではないけども、収入や食糧を含めた生活資源を得る術として、労働して対価収入を得るということの割合は少なくしていく必要があると思う。

 

学校とか軍隊みたいな働き方はやはりしんどい。積極的にサボりたいし、必要以上に気とか忖度とかしたくない。仕事は適当に。ペコペコしない。

 

人間関係について

・絶妙な贈与

人に物を与えすぎるのは良くない。良かれと思っているのは間違いないが、結構心理的な負担を与えていて、そこに知らず知らず権力・支配関係が発生してしまう。適度に与える。与えるときは、もらっても良いし、貰わなくても良いという感じで選択肢を用意する。

 

もらってばかりもよろしくはないけど、絶対にお返しをすべきというのは間違っている。人がくれるものは基本的にもらって居ればよいが、心理的負担が大きい場合は適当にお返しをしておればよい。ただしお返しをすることに躍起になる必要もない。

 

お返しを期待して物を与える人は支配欲がある人なので、そういう人からは距離をとったほうが良い。本人が気づいていようがいまいが。

 

・必要以上に話さない、教えない

自分の背景、考え方、好き嫌い云々は聞かれている以上のことをベラベラ喋らんで良い。世間話は世間話で留めておく。聞かれてもないことを教えなくて良い。求められてないアドバイスや感想は言わんで良い。

小豆島オリーブ収穫日記2 共同生活について

今回のオリーブ収穫は比較的大きな農園でやっているので、自分を合わせて10人の短期スタッフが参加している。

 

平均年齢は28歳くらいで、ほとんど自分と変わらない年齢の人が半数くらいを占めている。新卒で5、6年働いた会社を辞め、30歳手前でいったん立ち止まって、農業バイトやリゾバを始めてみるという人は結構いるということが非常に新鮮だった。

 

他には40過ぎや30後半の人もいて、春はいちごやメロン、夏はスイカ、冬はみかんなどと、季節とともに全国の農家で転々と仕事をしながら生計を立てているひとも複数人いる。

 

年収は100万を切っているけど、農園で働いていれば規格外の野菜やフルーツはたんまりと食べられるし、農園の端っこなどで自分の作物を育てていれば、それなりに楽しいし食費も浮くというので、存外楽しい生活スタイルではあるのだと。(他方、将来への漠然とした不安みたいなものはあるみたいだ)

 

そんなメンツ10人で、この仕事中は農園が所有している宿泊施設で集団生活をしている。

 

大人数で他人と共同生活をするなんて、大学の合宿以来だ。自分の時間や生活習慣は割ときっちり守りたい派である自分は、長期間の集団生活に多少の不安があったのだが、蓋を開けてみると存外楽しい。

 

仕事終わってキッチンに行ったら誰かがなんかを作っていたり、買ってきた地酒をシェアしてくれたり、それに合わせたつまみを適当に作ってくれたり。ちょっとした会話とかやりとりが、心地よい。

 

それでいて自分の部屋もあるから、別に誰とも話したくない時は篭ることもできる。

 

この感覚、何かと似ているなぁと思ったら、旅行先のゲストハウスの感じ。1日過ごした中で見たもの、美味しかったものなんかを適当にシェアして、気が合った人とはもう少し踏み込んで過去とか将来の話をする。

 

こういうやりとりが結構好きで、一人で旅行に行ったときは旅人と交流できるゲストハウスに泊まるのは定番になっていたのだった。

 

思えばここ数年、特にコロナ後は、見ず知らずの人と生活したり、ゆっくり話したりという機会がほとんどなかった。家と職場だけ、あるいは家だけで生活が完結してしまうとやはり煮詰まってくるし、凝り固まってくる。何より、反省をしたりする機会がなくなっていくので自己が肥大しやすい。

 

また今後定住したり、定職についたとしても、ちょっとした泊りがけのボランティアとかワークショップとかには積極的に参加してみるのも良いなと思った。

 

小豆島オリーブ収穫日記1

退職してから1ヶ月ほどふらふらしていたのだが、10月から前々より興味があったオリーブ収穫のバイトを小豆島でしている。

 

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オリーブも品種がいろいろあって、品種ごとに用途も少々異なってくるみたいなのだが、小豆島で主に育てられているのはミッション・ルッカ・マンザニロ・ネバディロブランコの4種類。

www.olive-pk.jp

 

品種にもよるが、だいたい10月に緑果の状態で収穫したオリーブは「新漬け」として加工されて売られていく。新漬けとは、渋を抜いた果実を塩水に漬け込んだいわば浅漬けのようなもので、お酒のあてやサンドイッチの具などにして食べられる。

 

オリーブは渋みがハンパないので生では食べられたものではないため、渋抜きという作業が必須になるのだが、柿の渋抜きみたくへたに焼酎を塗ったりとかではなかなか抜けないため、苛性ソーダに漬け込んで渋を抜くというのがセオリーなのだとか。

 

理科の実験で使う、あの指が溶ける水酸化ナトリウム水溶液って奴ですね。いわば劇薬なわけで、なんだかなぁと思ったりもするわけですが、その後1日3回水変えをしながら1-3週間ほど塩水に漬け込むので、その過程ではすっかり渋も劇薬も無くなってしまうのだと。

 

今はアメリカ原産のミッションという品種の緑果を収穫している。果実を傷つけないようにしながら、軸を残さずに綺麗に取るのはなかなか難しい。最初は1時間で3kgくらいしか収穫できなかったが、ちょっと慣れてきてだいたい5kgは取れるようになってきた。木とか場所によって実の成り方とか、実の大きさが全然違うのは結構面白い。

 

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陽がよく当たって風通しが良さげなところはブリッとしたいかにも美味そうな見た目をしているし、逆にちょっと陰ったところとかは小ぶりで皮がゴツゴツしている。

 

基本的に新漬けにできるのは大きめのハリがある果実だけで、ちっさくてゴツゴツしているのは問答無用でオイル用に搾られていく。

 

収穫作業自体はそれほど難しくないのだが、1時間でxxkg取ってくださいねーとかプレッシャーかかることを言われるとちょっと疲れる。別にノルマとかいうわけではないし、あんまりチンタラやられても困るというのもよくわかるのだけど、機嫌良く仕事はしたいよなぁとも思う。

 

それにしても、仕事終わりとか休憩中にパッと顔上げたらすぐ海がある環境というのは本当に心地が良いものです。

 

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今だけの味覚、オリーブの新漬け、味わってみてはどうでしょう。

弱さの情報公開

台湾で就職して約3年働いた会社を先週退職した。

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海外にでて挑戦する以上ある程度は頑張らねば、などと思いながら騙し騙しに働いてきたが、やっぱり自分には向いていなかった。

 

SEOや広告を中心としたデジタルマーケティングをやっていたのだが、毎日細かい数字を見るとか改善成長をし続けるということに対してのしんどさ、ということもあったし、あとは、2行も3行も行間を読まないといけないようなチャットアプリ主体のコミュニケーションに対しての疲れもあった。

 

しかし何よりも嫌気さした、というよりも危機感を感じたのが、こういった環境に自分が順応してきているということだった。

 

もちろんうまくやっていく、「成果を出す」にはそうするしか致し方ないが、そういった環境で評価されることを目指して生きていると、だんだん自らも他者をそのような見方で評価するようになってくる。

 

うまく行かないことで自分を否定するだけならまだマシだが、自分たちもこれで成果を出してきたのだからお前もそのようにしろ、というような思考になってくることが恐ろしかった。

 

でも思ってみれば、僕たちがいままで生きてきた競争社会というものは、ずっとこうだった。学校のテスト、成績、受験に就活、ずっと一本の軸で評価され続けてきたし、そういった中で上にいけ、頑張れ!といって生きてきた。

 

今、30間近になって、いまだにそういうシステムから抜け出せていないことに危機感を感じている。

 

題名の「弱さの情報公開」とは、精神障害等をかかえる当事者たちが生活する「べてるの家」の理念のひとつだ。

 

urakawa.bethel-net.jp

 

この言葉に出会ったのは、『自然(じねん)の哲学――おカネに支配された心を解放する里山の物語』という本の中の一説だ。

 

自分は何を達成してきて、何ができてということをアピールし続けるのではなく、自分のダメなところ、できないところを積極的に発信することによって、それを受容してくれる人、援助してくれる人たちと繋がっていく。

 

日本で生きていようが、台湾で生きていようが、マッチョな今のシステムから抜け出さない限りずっと違和感を抱えて、苦しさを抱えながら生きることになると思う。

 

 

 

小豆島に行ってきた

先月半年ぶりの一時帰国に、小豆島に行ってきた。前回大学の友達らときたのが2017年なので、6年ぶりということになる。

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さいころは毎年夏休みになったらおばあちゃんと小豆島に帰ることを、本当に何よりも楽しみにしていた。

 

大部港から車で二十分くらいの小さな集落にあるばあちゃんの家。ごっつい大理石やらが庭にゴロゴロ転がっているのが目印のその家は、床も傾いているし、外壁の木材は島の潮風にやられてボロボロに捲れ上がっているし、納屋にはあちらこちらに蜘蛛の巣が張っているのだが、いつも僕は「小豆島の別荘」と自慢げに人に話していた記憶がある。

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小学校の夏休みの自由研究にも、小豆島の別荘のポットン便所や五右衛門、黒電話を写真に撮って「田舎暮らし」の様子をレポートにしたこともあった。

 

小学校高学年以降はめっきり小豆島に行くことはなくなってしまったが、どこか頭の片隅にはいつも小豆島の風景があったし、いつかは暮らしてみたいという思いもぼんやりとあった。

 

都会暮らしだから田舎の生活に憧れるという側面もあるかもしれないが、それよりも、「自分のルーツ」であるという点でより強い思い入れを感じていたのではないかと今になって思う。

 

今回、「旅行」として小豆島に行ったのは2度目だが、自分でレンタカーを運転して島を巡ったのは初めてだった。

 

潮の香りを嗅ぎながら波音に耳を傾けながら、ただぼさっと海を見てるだけで、その打ち寄せては引いていく波が、心に積もった塵や瓦礫をきれいにさらっていってくれる、そんなような気がした。

 

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いつかまた、小豆島に帰るようになる日が、来ても良いかもしれないなとひそかに思っている。