台湾で就職して約3年働いた会社を先週退職した。
海外にでて挑戦する以上ある程度は頑張らねば、などと思いながら騙し騙しに働いてきたが、やっぱり自分には向いていなかった。
SEOや広告を中心としたデジタルマーケティングをやっていたのだが、毎日細かい数字を見るとか改善成長をし続けるということに対してのしんどさ、ということもあったし、あとは、2行も3行も行間を読まないといけないようなチャットアプリ主体のコミュニケーションに対しての疲れもあった。
しかし何よりも嫌気さした、というよりも危機感を感じたのが、こういった環境に自分が順応してきているということだった。
もちろんうまくやっていく、「成果を出す」にはそうするしか致し方ないが、そういった環境で評価されることを目指して生きていると、だんだん自らも他者をそのような見方で評価するようになってくる。
うまく行かないことで自分を否定するだけならまだマシだが、自分たちもこれで成果を出してきたのだからお前もそのようにしろ、というような思考になってくることが恐ろしかった。
でも思ってみれば、僕たちがいままで生きてきた競争社会というものは、ずっとこうだった。学校のテスト、成績、受験に就活、ずっと一本の軸で評価され続けてきたし、そういった中で上にいけ、頑張れ!といって生きてきた。
今、30間近になって、いまだにそういうシステムから抜け出せていないことに危機感を感じている。
題名の「弱さの情報公開」とは、精神障害等をかかえる当事者たちが生活する「べてるの家」の理念のひとつだ。
この言葉に出会ったのは、『自然(じねん)の哲学――おカネに支配された心を解放する里山の物語』という本の中の一説だ。
自分は何を達成してきて、何ができてということをアピールし続けるのではなく、自分のダメなところ、できないところを積極的に発信することによって、それを受容してくれる人、援助してくれる人たちと繋がっていく。
日本で生きていようが、台湾で生きていようが、マッチョな今のシステムから抜け出さない限りずっと違和感を抱えて、苦しさを抱えながら生きることになると思う。